2008年12月29日月曜日

トレイシー・チャップマン ~アコースティック・ギター片手に~

1988年に彗星の如く現れた『トレイシー・チャップマン』。メッセージ性の強い曲で、良くあるありきたりの曲ではなく、アコースティック・ギター片手に訴えるような曲は、共感を覚えました。
デビュー・アルバム『トレイシー・チャップマン』からは、『トーキン・バウト・ア・レヴォルーション』や『ファスト・カー』、『ベイビー・キャン・アイ・ホールド・ユー』などのヒット曲を生み出しました。

2008年12月24日水曜日

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース ~パワー・オブ・ラブ~ 

「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース」は、1980年にデビューをし、その後の1982年にシングル・カットした「ビリーヴ・イン・ラヴ」のヒットで一躍、脚光を浴びるようになりました。
その後、アルバム「スポーツ」から「アイ・ウォント・ア・ニュー・ドラッグ」、「ハート・オブ・ロックンロール」、「いつも夢見て」などのヒット曲を出しました。
そしてトドメ?は、映画「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」のタイトル曲「パワー・オブ・ラブ」です。これは映画のおかげも有ったでしょう。全米NO.1の大ヒットとなりました。本映画には、「ヒューイ・ルイス」本人も出演していて、正に人気の絶頂期だったと思います。

2008年12月16日火曜日

マイケル・ジャクソン ~ビリー・ジーン~

先日、フィギュア・スケートがあって、大会終了後にエキシビションがあり、特集で昔の映像を流してくれた。その中に、誰か忘れたが、マイケル・ジャクソンを真似して滑っているのがあり、とても面白くて良かった。この中で、久しぶりに「ビリー・ジーン」を聴いて、感動しました。やっぱりいい曲だなって。

この曲は、私にとって「マイケル・ジャクソン」の中で一番好きな曲です。

2008年12月14日日曜日

洋楽に誤訳多し?

前から思っていたのですが、洋楽には誤訳?と思うものが結構あります。
例えば、『ホール&オーツ』の『Kiss On My List』ですが、この曲、Love songとして解釈されているようですが、実はそうでないとか。。。。
又、『ソフト・セル』で大ヒットした『Tainted Love』ですが、この曲は日本語タイトルが『汚れなき愛』となっています。しかし、英語では『汚れた愛』では無いのか?といわれているようです。
音楽は、自己主張・表現なのに、間違って解釈されるのは、悲しい事です。

2008年12月11日木曜日

リック・スプリングフィールド ~ジェシーズ・ガール~

今日は、『リック・スプリングフィールド』を取り上げます。

彼はオーストラリア出身で、ミュージシャンであり俳優でもありました。
1981年に『ジェシーズ・ガール』をリリースし大ヒットしました。
この曲で、グラミー賞の最優秀男性ロックボーカル賞を受賞。
ルックスが良かった為、日本で多くのファンを獲得しました。
又、『ジェシーズ・ガール』の後にも『ドント・トーク・トゥー・ストレンジャー』
という曲も大ヒットしました。

2008年12月8日月曜日

ジョン・レノン 偉大なるアーティスト

今日はジョン・レノンの命日です。

洋楽を聴き始めた頃、ジョン・レノンのスターティングオーバーという曲がヒットしていました。
ジョン・レノンは既に射殺されていて、この世に居なかった。
ただ一つのヒット曲として、この曲を聴いていた。
同アルバムからのセカンドシングル、ウーマンも大ヒットし、ダブルファンタジーは、1981年のグラミー賞年間優秀アルバム賞を獲得しました。

ダブルファンタジーのアルバムの後に、ベストアルバムがリリースされたので購入し、よく聴いた。そして、イマジンに心を打たれました。

想像してごらん 国境なんて存在しないと
そう思うのは難しいことじゃない
殺す理由も、死ぬ理由もない
宗教なんてものも存在しない
想像してごらん すべての人々が
平和のうちに暮らしていると…

僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも、僕ひとりだけじゃないんだ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば 世界はひとつになるだろう
イマジンより

2008年12月4日木曜日

マイケル・ジャクソン ~Rock With You~

マイケル・ジャクソンは?と言うと、ディスコ或いはダンス調の曲というイメージが多いが、私は、「Rock With You」という曲が好きです。
この曲は、「オブ・ザ・ウォル」というアルバムからのシングルカットで、このアルバムによって、大人に進化した新しいマイケル・ジャクソンを見ることが出来ました。

「Rock With You」は4週連続で全米ヒットチャートNo.1を記録しました。年間チャートは4位。この曲のファンは大変多いそうです。

2008年12月1日月曜日

エンドレス・ラヴ 「ブルック・シールズ」

うだるような暑さだった夏が過ぎ、気が付けば、もう冬の到来です。
暦では12月ですので当然ですね。
台風の少ない年は、雪が多いといわれているのですが、今年はどうなんでしょうか?

こう寒くなってくると、人恋しくなり、何かラブ・ストーリーの映画が見たくなります。
過去、冬に公開されたラブ・ストーリーの映画といえば、私は「エンドレス・ラブ」を思い出します。
「ブルック・シールズ」がとても綺麗でした。

「ライオネル・リッチ」と「ダイアナ・ロス」のデュエットによる、タイトル曲も大ヒットしました。

最近、特に洋楽では、このような映画が少なくなり、政治色の濃い映画が多いような気がするのは、気のせいでしょうか?

2008年11月26日水曜日

衝撃デビュー ~クリストファー・クロス~

洋楽を聴き始めた頃、「クリストファー・クロス」の「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arthur's Theme (Best That You Can Do))」がヒットしていました。

クリストファー・クロスは1979年、アルバム「南から来た男」でデビューし、このアルバムと同アルバムからシングルカットされた「セイリング」で1980年のグラミー賞5部門を独占し、大ブレイクしました。まさに衝撃のデビューだったと思います。
AORの入門として、このアルバムは特におススメです。

2008年11月25日火曜日

サンタナの名曲「哀愁のヨーロッパ」は、やはりヨーロッパが似合います

先週、出張でフランスの方へ行ってきました。
フランスへは出張で度々訪れておりますが、今回はかなり久しぶりの出張となりました。

現地での仕事が終わり、当然のように観光へと行ってまいりました。
エッフェル塔や凱旋門と訪問し、やはり久しぶりに異文化を楽しむのも良いなあと思ったものでした。

フランスへは当然、飛行機での移動となります。
いつも機内で楽しみにしているのが、映画と音楽ですね。
音楽は、チャンネルがあるのですが、いつも聴いているのは昔の洋楽を流すチャンネルです。
今回、搭乗したときに、「サンタナ」の「哀愁のヨーロッパ」が流れており、久しぶりに聴く名曲に疲れを癒していただきました。
この曲は、本当にヨーロッパという感じがして、感慨深いものがありました。

2008年11月20日木曜日

狂気のピンクフロイド

ピンク・フロイドの曲を初めて聴いたのは、「吹けよ風、呼べよ嵐」でした。この曲は、全日本プロレスでのザ・ブッチャーのテーマ曲として有名で、私の兄が好きだったので、レコードを購入して聴いていました。

彼らのアルバムは何と言っても「狂気」が有名ですね。1972年に発表されたこのアルバムは、実に15年に渡って、ビルボードチャート200位以内にチャートインし、ギネス記録を打ち立てた歴史的なモンスターアルバムです。ただ、私にはこのアルバムの良さが分かりませんでした。

私が個人的に、アルバムで印象に残っているのが、「ザ・ウォール」で、シングルカットされた「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」をよく聴いていました。

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2008年11月18日火曜日

ブロンディ/コール・ミー

今日はブロンディの「コール・ミー」を紹介します。
この曲は1980年に大ヒットし、全米の年間チャート1位となりました。

ブロンディのコール・ミーのPV試聴/視聴はこちら

ブロンディは、1979年に大ヒットした、ハート・オブ・グラスがお気に入りで、よく聴いていました。
残念ながら、ブロンディはメンバの一人が白血病ということで、1982年に解散してしまいました。

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2008年11月17日月曜日

ヒューマン・リーグ(The Human League)

今日、久しぶりに車の中で「ヒューマン・リーグ」の「愛の残り火(Don't You Want Me)」を聴きました。
「ヒューマン・リーグ」はもともとイギリスのグループで、この曲「愛の残り火(Don't You Want Me)」は、確か1981年に先ずイギリスで大ヒットし、その後全米
No.1になる、大ヒットを記録しました。
当時、MTVで盛んにPVが放送されていて、この曲のPVは非常に印象に残っています。
この曲の作曲者は、楽器が使えず、コンピューターで作曲をしたというのは非常に有名な話でした。

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2008年11月13日木曜日

ミスター・ロボット 日本語の入った曲 ~スティクス~

スティクス (Styx)は、1981年に「ザ・ベスト・オブ・タイムズ」などのヒット曲を出しました。
そのスティクスが日本での人気を決定付けたのは、その後にリリースした「ミスター・ロボット」という曲だと思います。何故なら、この曲の歌詞には日本語が含まれているからです。「ども、ありがと。ミスター・ロボット。」と日本語で歌われていました。

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2008年11月12日水曜日

デスペラード(ならず者) イーグルス

久しぶりに、大阪の友達から電話がかかってきました。
一体なんだろうと思いきや、「イーグルスのデスペラードって言う曲知ってる?」という話だった。一瞬、バカにしているのかなと思ったのですが、彼はビートルズも知らないくらいの洋楽おんちだったので、どうも本気で聴いてきたみたいです。
彼曰く、「デスペラード」を聴きたくて、CDレンタル屋に言ったのだけれど、よく探せなかったとのことで、「CD持っていたら貸してくれないか?」という事でした。二つ返事でOKと言いましたが、僕も聴きたくなったので、今日は車の中で、この曲を聴きながら会社へ出勤しました。

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2008年11月11日火曜日

1970年代後半のディスコ・ブーム

1970年後半にディスコ・ブームが到来しました。仕掛け人はヴァンマッコイです。
アメリカの音楽プロデューサーであり、作曲家でもあったヴァン・マッコイは、「ハッスル」という曲で、
1975年に全世界でレコード売上が1000万枚以上という大ヒットを記録しました。
これが、世界中でディスコ・ブームを巻き起こすきっかけとなったといわれています。

そして、このブームにのって、シックというグループが出てきました。
シックは「おしゃれフリーク」という曲を出して、これも全米No.1と大ヒットを記録しました。

その後はディスコ・ブームは衰退していきます。
余談ですが、ヴァン・マッコイは、1979年に、39歳の若さで急死しています。
もし、生きていたら、どんな曲を作っていたのでしょうか。

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2008年11月10日月曜日

クイーンのコンサートは自慢話

僕が洋楽を聴き始めた頃、日本で一番人気のあった洋楽グループはクイーンでした。
当時、Music Lifeという月間音楽雑誌があり、毎年1回、洋楽アーティストの人気投票があって順位付けをするのですが、グループ部門ではいつもクイーンが1位でした。

僕も、クイーンが好きで、よく聞いていました。特にボヘミアンラプソディは名曲だと思っています。又、フレディー・マーキュリーのボーカルがとても良かったと思います。

ある日、クイーンのコンサートに行こうという話しになりました。仲間うちで、一番人気があったのがクイーンだったので必然的の、そうなりました。
みんなで、朝早くから梅田に出掛け、長時間チケット屋に並び、やっとの思いで買ったのを覚えています。
このときにいったコンサート、今では、自慢話の一つになっています。

2008年11月6日木曜日

小室哲哉逮捕 「小室バブルの終焉」

小室哲哉さんが5億円詐取、いわゆる詐欺罪で逮捕されてしまいました。
90年代後半に日本の音楽業界を席巻した彼は「バブルのようだった」とコメントしていたようですが、実にその通りだと思います。更に、バブル後に、借金まみれというのも同様です。どうしてそうなってしまったのでしょうか?最近のアメリカのサブプライム問題に端を発した、金融危機にも似ているように思います。

小室哲哉さんは、明らかに一つの時代を築きました。小室哲哉さんは、歌いやすい曲つくりを心がけていたようですので、これがカラオケブームと上手くマッチして、彼の曲がよく売れたんだと思っています。

潔く罪を認めたのは、良かったと思います。又、復活して欲しいとも思います。
小室哲哉さんのドキュメンタリー映画を作れば大ヒット間違い無しでしょう。

不謹慎ですいませんでした。

2008年11月4日火曜日

音楽 アラベスク 歌詞が無茶苦茶

1979年頃にアラベスクという女性3人組のユニットが「ハロー・ミスター・モンキー」という曲を出し、日本でヒットしていました。
当時、僕は小学生でしたが、兄がよくアラベスクの曲を聴いていて、大好きになっていました。
特に好きだったのは、「ビリーズ・バーベキュー」でした。
ある日、この歌の意味がどういう内容が知りたかったので、歌詞カードを見たのですが、あまりのくだらなさに唖然としました。
どうも、アラベスクの曲は歌詞が無茶苦茶だったようで、本国ドイツで売れなかったのが分かるような気がしたのと、どうして日本でこんなに売れたのか、理解できませんでした。


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2008年11月2日日曜日

ビージーズ ~ 美しい3兄弟のハーモニー ~

今、HONDAの新型オデッセイのコマーシャルで、ビージーズの「ステイン・アライヴ」が使われています。

ビージーズは、1978年頃、良く聴いていました。正確には聴かされていたといったほうが正しいかも。兄が、ビージーズが好きで、映画「サタディナイトフィーバー」のサントラアルバムを良く聴いていました。そのアルバムからは、「ステイン・アライブ」「恋のナイトフィーバー」「愛はきらめきの中に」等のヒットが生まれました。

「ビージーズ」の魅力は何といっても、ハーモニー(コーラス)です。3兄弟(バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ)のハーモニーは非常に良かったと思います。


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2008年10月30日木曜日

元祖ビジュアル系 カルチャー・クラブ

1982年頃にMTVでカルチャー・クラブの曲が盛んに流されていました。
バンドの中心はボーイ・ジョージで奇抜なファッション(女装)で、どちらかとビジュアル面で注目されるバンドだったと思いますが、「君は完璧さ」という曲は、大ヒットしました。

次にリリースされた「カーマは気まぐれ」は全米No.1となりました。この曲は、「カマカマカマカマ」というフレーズが小中学生に受け、歌詞が覚えやすかったために、大ヒットとなり、アルバムの「カラー・バイ・ナンバーズ」は、オリコンチャートでも1位となりました。

2008年10月29日水曜日

「TOTO Ⅳ(聖なる剣)」 ~80年代を代表するアルバム~

1982年にTOTOが「ロザーナ」をリリースしました。
TOTOの当時の日本での人気は凄く、各FM放送局では連日、この「ロザーナ」がオンエアされていた。

私は当初「ロザーナ」という曲はあまり好きではなかったが、この「ロザーナ」は予想外に、大ヒットを記録した。
僕も気が付いたときには「良い曲だな。」と思うようになっていました。

アルバム「TOTO Ⅳ(聖なる剣)」からは、「ロザーナ」を始め、次々と大ヒット曲を出し、全米ヒットチャート第1位を記録しました。そしていつしか、80年代を代表するアルバムと言われるようになりました。

2008年10月27日月曜日

マーヴィン・ゲイ ~ソウル・R&B~

マービン・ゲイは、1982年にアルバム「ミッドナイト・ラヴ」をリリースし、これが大ヒット。約10年ぶりの復活となりました。しかし、それも束の間、1984年に、自宅で父親に射殺されてしまいました。何でも、父親と口論になり、逆上されて射殺されるというもの。何ともショッキングだったので、非常に記憶に残っています。

マービン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」は大好きな曲でした。特にイントロでの囁く様なコーラスが、今聞いても、ゾクゾクします。

マーヴィン・ゲイの曲で特に有名なのは、「ホワッツ・ゴーイン・オン」で、この曲は1971年にリリースされて、大ヒットを記録したそうです。シンディーローパーがカバーしてヒットしたのが有名ですね。

2008年10月23日木曜日

ジョン・クーガー

1982年にジョンクーガーがHurts so good「青春の傷跡」で、ビルボードチャートで全米No.1を記録しました。
次に、シングルカットされたのが、Jack and Dianeで、今度はバラードでした。バラードでもアメリカくさい感じでした。
この曲は、聴けば聴くほど味が出てくる曲で、この曲も全米No.1のヒットになりました。
もちろん、これら2曲が収められたアルバム「American Fool」も大ヒットし、まさしくジョンクーガーの黄金時代が始まったといっても過言ではなかったでしょう。
それほど、凄い人気がありました。

2008年10月21日火曜日

マドンナ ~音楽史上最も成功した女性アーティスト~

1984年にマドンナが「ライク・ア・ヴァージン」で大ブレイクをしました。この時、一体誰が、「ポップス界の女王」と呼ばれ、ギネスブックで「史上最も成功した女性アーテイスト」とされる事を予測できたでしょうか。

マドンナは、スキャンダラスな話題が先行していて、特に覚えているのは、成人映画に出演したビデオが話題になって発売された事でした。

マドンナは50歳のようだが、最近離婚話で話題になっているみたいですね。どうでもいいことですが。

ほぼ同時期にブレイクした、マドンナとシンディー・ローパー、貴方はどちらが好きでしょうか。

2008年10月19日日曜日

ディスコ・キング ~アース・ウィンド・アンド・ファイアー~

アース・ウィンド・アンド・ファイアー (Earth, Wind & Fire)は、1981年に、「レッツ・グルーヴ」で知りました。

アース・ウィンド・アンド・ファイアーはディスコ業界でのカリスマ的存在で、「セプテンバー」や「ブギー・ワンダーランド」が有名でした。

モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーの二人がヴォーカルで、グループの人数は多すぎて、よく分からず、「一体、何人いるのか」と思ったものです。

フィリップ・ベイリーは、フィルコリンズとのデュエット曲「イージー・ラヴァ-」がヒットしたが、モーリス・ホワイトは、パーキンソン病になってしまいました。

ちなみに、アース・ウィンド・アンド・ファイアーは日本のアーティストにも影響を与え、特にドリカムが彼らの影響を強く受けているようで、「決戦は金曜日」がアース・ウィンド・アンド・ファイアーを彷彿させる曲となっているのは有名ですね。

2008年10月16日木曜日

メンアットワーク

1981年、メンアットワークというグループが「ノックは夜中に(Who Can It Be Now?)」という曲でデビューしました。
日本語にすると「工事中」という何とも滑稽なグループ名でした。
「ノックは夜中に(Who Can It Be Now?)」は、サックスが印象的な曲で、あっという間にチャートを駆け上がり、全米No.1を制覇しました。
2曲目は、「ダウン・アンダー(Down Under)」という曲で、これはメロディラインが気に入り、よく聴いた。この曲も、全米No.1を獲得し、デビューから2曲連続の全米No.1という、離れ技をやってのけました。
まさに快挙だったと思います。もちろんその年の、グラミー賞最優秀新人賞にも輝きました。

2008年10月13日月曜日

J・ガイルズ・バンドの「堕ちた天使」

1981年に、J・ガイルズ・バンドの「堕ちた天使」という曲がヒットしました。この「堕ちた天使」は6週間も全米1位となりました。
2曲目のシングルは、アルバムタイトル曲の「フリーズ・フレイム」であったが、「堕ちた天使」が大ヒットしたために、少し物足りなさを感じました。結局彼らは、一発屋だったのでしょうか。
1983年には、ヴォーカルのピータ・ウルフがソロで「ライツ・アウト」という曲を出し、ヒットを飛ばしました。
そのため、J・ガイルズ・バンドからピータ・ウルフがソロ活動のため脱退し、その後は、さっぱりといった感じになりました。

2008年10月11日土曜日

ハスキ声 ~ ロッド・スチュワート ~

ロッド・スチュワートを知ったのは、1981年に「トゥナイト・アイム・ユアーズ」がヒットしたときです。
ロッド・スチュワートの魅力は、一度聴くと忘れられない、しゃがれた声のハスキーボイスだと思います。
また、セクシーなところも、ロッド・スチュワートの魅力ですね。

私がロッド・スチュワートの曲で好きなのは、「今夜決めよう」です。名曲だと思いませんか?

2008年10月8日水曜日

ドン・ヘンリーとグレン・フライのイーグルス

イーグルスの曲では、「ホテルカリフォルニア」という曲が超有名だが、僕は、「ならず者」が大好きです。キムタクのドラマの主題曲になったからではなくて、ドン・ヘンリーは、このような哀愁の漂うバラードが一番似合っているのではないかと思うのです。

僕が洋楽を聞きだした頃は、とっくにイーグルスは活動をしていなくて、ドン・ヘンリーとグレン・フライはソロ活動をしていて、それぞれにヒット曲を出していましたね。
ドン・ヘンリーは「ボーイズオブサマー」、グレン・フライは「サムバディ」だったかな?
どちらもヒットして、やっぱ、イーグルスは凄いなと思いました。

2008年10月2日木曜日

エドはるみとエドサリバンショー

エドはるみの言う芸名は、「エドサリバンショー」から採ったというのは有名な話ですが、「エドサリバンショー」を知っている人はどれくらいいらっしゃるでしょうか?
この番組は、エドサリバンが司会でやっていた、アメリカのバラエティ番組で、ポピュラー音楽のシンガーを招き、トークや歌を披露してもらうというものでした。

日本でも、放送され、「ブルーコメッツ」が「ブルーシャトー」を演奏したのをおぼえています。

この番組は、サリバン自身が、カトリックの信仰を持つ保守派のため、倫理面にうるさいという事から、いくつかの有名なエピソードを残しています。特に有名なのが、
「エルヴィスプレスリーの腰を振るアクションを卑猥に感じたために、上半身だけのアングルだけ放送した」といった内容です。
そういったエピソードが数多くあるために、逆に知名度があがったかもしれませんね。
エドはるみを見て、ふと、エドサリバンショーを思い出しました。

2008年9月30日火曜日

エスケイプ ジャーニー黄金時代

1981年、ジャーニーの「ドント・ストップ・ビリーヴィン」が、ポップスベストテン(FM大阪)にチャートインし、この曲で初めてジャーニーというバンドを知りました。
スティーブ・ペリーの透き通るヴォーカルが気に入ってよく曲を聴いていました。

この「ドント・ストップ・ビリーヴィン」が入ったアルバム「Eacape」からは、「Who’s Crying Now」、「Open Arms」も大ヒットし、このアルバムも、自身初の全米1位となり、このアルバムは、80年代最高傑作のひとつにあげられると思います。
ジャーニーの曲の中で私の一番好きな曲は、「Who’s Crying Now」です。

その後、1983年にアルバム「フロンティアーズ」をリリースし、全米9週連続2位の大ヒットとなりました。この時期はマイケルジャクソンの「スリラー」が延べ37週にわたって1位を記録したために、1位になることが出来なかったアルバムでした。

2008年9月28日日曜日

「ホール&オーツ」のコンサートはよく行きました。

私はホール&オーツの大ファンでした。過去形になっていますが、もちろん、今でも好きです。
彼らのコンサートはよく行きました。何回行ったかは覚えていませんが、5回程は行ったと思います。
1980年頃、大阪でのコンサート会場というと、ほとんどが大阪府立体育館でした。当時は、大阪城ホールが未だ無かったので、大阪でコンサートというと、ここが定番でした。

ホール&オーツのコンサートでの見せ場は「Wait for me」ですね。ダリルホールのワンマンショー的な演出があり、決まって女性ファンが奇声をあげます。この曲、一般的にはあまり、有名な曲では無いが、素敵なバラードです。是非、コンサートで聴いていただきたい曲ですね。

2008年9月26日金曜日

ポリス ~見つめていたい~

ポリスはデビュー当時、「ビートルズが作った記録をすべて超えてみせる」と語っていたそうです。

ポリスの曲を初めて聞いたのは、高1ときで、曲は、「マジック」でした。しかし、特にファンになる程の事でもなく、「歌があまり上手じゃないな。」という感想でした

そのポリスが、ある日、新曲を出してきました。曲名は「見つめていたい」です。これを初めて聴いたとき正直、驚いたと同時に、必ず大ヒットすると確信しましたね。
その後、アルバム「シンクロニシティ」を購入し、全ての曲を聴いて、「Every Breath You Take」だけでなく、アルバム自体の出来が素晴らしいと感じ、ひょっとしてビートルズを超えるのか?と少し思ってしまいました。でも、そんな訳無いか(爆)。
当然のことのように、ポリスはこのアルバムからヒットを連発しました。間違いなく、80年前半を代表するアルバムだと思いますので、是非聴いて欲しいアルバムの一つです。

2008年9月24日水曜日

アメリカミュージック ~ジョン・クーガー~

1982年 ジョンクーガーが「Hurts so good」という歌で、ビルボードチャートを上昇してきました。曲は結構、ノリがよく、チャートで全米No.1を記録しました。
次に、シングルカットされたのが、Jack and Dianeでした。Hurts so goodとは、うって変わって、バラードでした。この曲は、聴けば聴くほど味が出てくる、そんな曲でした。これも、気が付いたら全米No.1のヒットになりました。
アルバムの「American Fool」も大ヒットし、アメリカにおいて、絶大な人気を獲得、ジョンクーガーの黄金時代が始まりました。

Jack and Diane、 この曲は本当に良い歌だと思います。噛めば噛むほど味が出る。そんな曲です。

ジョンクーガーはその後も、ヒットアルバムを次々とリリースしていきました。日本公演時には、コンサートにも行きました。でも。全然記憶がないですね(苦笑)なぜだろう?

Tシャツを着た若い男がロックンロールを聴いている。
グリースをたっぷりぬりまくって、ほろ酔い加減で彼は言う。
「これが私の運命なのか。だって、小さいときには言われたんだ、
「お前は大統領になるんだよ。」って」
ところが案の定、こんな昔のばかげた夢は、思い出したと思ったら直ぐに忘れてしまった。
「ピンクハウスより」

2008年9月21日日曜日

フックト・オン・クラシックス

今日は、息子の運動会でした。小学校最後の運動会。組み立て体操、がんばってやっていました。後でほめてあげたいです。

ところで、運動会と聞くと、どんな音楽を思い浮かべますか?
私は、やはり、オッフェンバックの「天国と地獄」でしょうか。
その様な事を思い浮かべているうちに、ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団が1982年に発表した、「フックト・オン・クラシックス」を思い出し、聴きたくなりました。

この曲は、ヒットチャートにランクインするほど、ヒットし、話題になりました。
いわゆる、サビの部分をつなぎ合わせて1曲にしたもので、クラシックが長くて苦手の私に、クラシックの良さを教えてくれた、思い出の曲です。
私は、「フックト・オン・クラシックス Vol.1」というアルバムレコードを持っています。お勧めは、2曲目ですね。ムード音楽のメロディですが、聴くと直ぐに眠たくなる曲です。車の運転の時に聴くのはまずいですね。

2008年9月19日金曜日

ディスコ・ミュージック

ディスコ・ミュージックとは、もはや死語でしょうか? ダンス・ミュージックというのがナウい?あっ、ナウいも死語ですね(笑)。

この間、ジュリアナ東京が一夜限りの復活をしていました。バブルです。
関西はマハラジャですね。私もよく行ったものです。

アバ、KC &サンシャインバンド、アラベスク、ボニーM、EW&F、デッドオアアライブ、バナナラマ、ヴァンマッコイ?

ディスコと聴いて、どんな曲を思い浮かべますか?

私は、やはりビージーズですね。
そうです。映画「サタディナイトフィーバー」です。ジョントラボルタです。この映画から、「ステインアライブ」「恋のナイトフィーバー」「愛はきらめきの中に」等の大ヒットが生まれ、セールスは、売上げ1200万枚以上と、当時世界一を記録しました。2枚組みのアルバムで、このセールスです。凄いです。
「ビージーズ」の魅力は何といっても、3兄弟(バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ)のハーモニーですね。中でも「愛はきらめきの中に」は、最高傑作だと思います。

レンタルレコード お世話になった日々

1980年頃は、気に入った曲がリリースされると、レコードを買って、カセットテープに録音して聴く。つまり、主役は、レコードとカセットテープでした。
そのような時代に、レンタルレコードの店が東京にオープンしました。
音楽業界はレコードが売れなくなると危惧し、大ニュースとなりました。
私は、「レンタルレコード借りれば、レコードを買わなくで済むので良いな。」と思っていました。中学生だったので、何が問題になるのか、よくわかりませんでした。

やがて、大阪にもレコードレンタルのお店が出来て、私も借りに行くようになりました。しかし、置いてある枚数が少なくて、決して満足出来る内容ではありませんでした。
他にもレンタルレコードには、色々な問題があり、例えば、レコードは、消耗するので、聴き過ぎてしまうと、聴けなくなってしまいます。だから、そのような消耗レコードにレコード針を落とすと、針が傷むといった問題がありました。
又、レコードは清潔を保つためにクリーナーを使用するというのが、一般的でありましたが、クリーナーを使用すると、レコードが帯電しやすくなるという問題がありました。だから、レンタルレコードへの使用は禁止されていました。つまり管理が大変だということです。

以上のような事が原因で、レンタルレコードの店舗数は、あまり増えなかったと思います。

2008年9月18日木曜日

刺青の男  ローリング・ストーンズ

ある日、同じクラスの友人が、「気に入っているアルバムを貸すよ。」と言って、一枚のアルバムを無理やり、貸してくれました。無理やりというのは、特に「貸して。」と言っていないのに、勝手に持ってきて渡してくれたので、そういう表現にしました。
そのアルバムジャケットには刺青が入った男の絵が描かれていて、ちょっと不気味でした。「絶対、気に入るから。」と友人が自信たっぷりに言うので、その言葉を信じて、そのまま借りる事にしました。そのアルバムが、ローリングストーンズの「刺青の男」でした。
家に帰って早速、そのレコードを聴いてみました。1曲目は「Start me up」で、いきなりノリがよく、「カッコイイ」と感じ、信じて借りてよかったなと思ったものです。
このアルバムをきっかけで、ストーンズの嵌ってしまい、片っ端から曲を聴きまくりました。
ストーンズは同じイギリス出身のビートルズと何かにつけて比較され、ビートルズはクイーンで、ストーンズは娼婦といったように、いつもダーティなイメージでした。でもそれが、中学生の私にとっては「カッコイイ」と感じました。
その後、1990年に、初来日を果たすのですが、その時に行ったコンサートの事を、昨日の事のように思い出します。

2008年9月15日月曜日

音楽ファンのバイブル Music Life

音楽雑誌で、よく読んでいたのがMusic Lifeだった。価格は500円。洋楽を愛する我々にとっては、バイブルのような物で、これを学校へ持っていくと、人気者になっていた。

この本には、色々なアーティストのグラビアやライブ映像を掲載してあり、よく切り抜いて、学校へ持って行った。目立つところに、これを置き、これを見たクラスの子が「これ誰?」と聞いてくる。“待ってました。”とばかりに「この人は、○△□×。。。」と、自慢げに話す。「洋楽は良いよ。」と自慢げに話す。
こうやって、格好をつけていた。

当時のMusic Lifeには、ヴィジュアル系のアーティストがよく取り上げられていた。私は、あまり興味がなく、どちらかと言うと、デビッドボウイやストーンズ等の渋めが好きだった。

もちろん、一番好きだったのは、ダリル・ホールで、彼らのグラビア記事も結構多く、掲載されていた。

2008年9月13日土曜日

洋楽との出会い

初めて洋楽を聴いたと記憶しているのは、小学4年生の頃の1977年です。
兄が聴いている音楽を一緒に聴いていました。その名は「ビージーズ」、かの有名な映画「サタディナイトフィーバー」のサントラです。「恋のナイトフィーバー」「ステインアライブ」「愛はきらめきの中に」「ジブトーキン」「You should be dancing」など、「サタディナイトフィーバー」のサントラアルバムからは、たくさんのヒットが生まれました。中でも一番好きなのが「愛はきらめきの中に」です。
「ビージーズ」の魅力は何といっても、ハーモニー(コーラス)の素晴らしさです。メンバーは、バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブの3兄弟で、声質が似ており、それがハーモニーの美しさに繋がっていたと思います。しかし、2003年にメンバーのモーリス・ギブが逝去されてしまい、ビージーズとして新しい曲は聴く事が出来なくなってしまいました。カーペンターズの時もそうでしたが、今後、彼らの美しいハーモニーの新曲が聴けないのは、残念です。

2008年9月12日金曜日

世界平和を考える

昨日は、9/11。アメリカ同時多発テロが発生した日です。
ちょうど、私は、仕事の出張で成田からフランクフルト空港へフライト中でした。
フランクフルトのホテルにチェックイン後、部屋に入り、テレビの電源スイッチをONにした瞬間、ビルへ飛行機が突っ込む映像が流れていました。私は、映画だと思い、チャンネルを切り替えました。しかし、切り替えたチャンネルでも同じ様な映像が流れていました。又、チャンネルを換えると、そこも同じ様な映像。そして、パレスチナのアラファート議長が映し出されている事と、画面下に、「Terrorist」の文字が流れているのに気付き、その時に、テロリストが起きた事に気が付きました。そして何より、出国の手続きが大変だったのを思い出します。

世界平和で、すぐに思い浮かべられるアーティストがいます。それはジョンレノンです。

想像してごらん 国境なんて存在しないと
そう思うのは難しいことじゃない
殺す理由も、死ぬ理由もない
宗教なんてものも存在しない
想像してごらん すべての人々が
平和のうちに暮らしていると…

僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも、僕ひとりだけじゃないんだ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば 世界はひとつになるだろう
イマジンより

どうしたら戦争が起きなくなるのか、それを教えてくれたのはジョンレノンでした。
今週末の宴会、カラオケでイマジンを歌おうと、思います。

2008年9月10日水曜日

FM音楽雑誌

1980年代良く聞いていたFMラジオ。大阪で受信できた放送局はNHK FMとFM大阪の2局しかなく、「もっと放送局があったら良いのに。」と思っていた。
FMラジオを聴く理由は、Air Checkのため。だから、番組をチェックできるFM番組雑誌を購入していた。いつも購読していたのが、FM fanと週間FM。よく聞いていたFM番組は、土曜の14時からFM大阪で放送されていたポップスベストテン、NHK FMで土曜日15時10分から放送されていた「リクエストアワー」でした。
FM fanのようなFM番組雑誌は、隔週で販売されていて、いつも発売を楽しみにしていました。買ったその日から、蛍光ペンを片手に、番組表を塗りつぶし。。。。
ちなみに、当時のFM雑誌には代表的な物が3つあって、FM fanと週間FMとFM ステーションだったと記憶しています。そして、これらには、それぞれ音楽チャートが掲載されていて、
FM fan……Billboard
週間FM・・・… Radio & Records
FM ステーション……・Cash Box
だったかと。
う~ん。。懐かしいなあ。今では、一つもこのような雑誌はありませんね。

2008年9月8日月曜日

洋楽番組 ザ・ベストヒットUSA

洋楽を聴きだして、毎週楽しみにしていたテレビ番組があった。それが、伝説の番組「ザ・ベストヒットUSA」です。司会は、小林克也さんで、素晴らしい声をしており( 今でも素晴らしいですが。) それが番組を一層引き立てていました。
余談ですが、小林克也さんは、ギャラが一声、100万円の時もあったそうです。

ザ・ベストヒットUSAは、レコードアルバムのジャケットがパラパラめくれて始まるといった内容で結構好きでした。確か、毎週土曜日放送でしたね。

この番組は基本的に最新のヒットチャート(確かRadio & Records。)を紹介するというものでした。但し、最新と言っても、数週間遅れていましたけどね。
記憶に残っているのでは、オリビア・ニュートンジョンがフィジカルで大ヒットを飛ばし、Billboardでは、10週間連続1位となり、同時期にフォリナーのガールライクユーが10週連続2位にだったのに、このチャートでは、ガールライクユーが1位を独占です。これは、意味不明でしたが、フィジカルの放送禁止が影響していたのかもしれません。ちなみに、ホール&オーツのI can’t go for thatも1位になっています。私は、彼らのファンだったので、非常に嬉しかったのを覚えています。

残念ながら、今では、この番組を見られませんが、ニコニコ動画で最近みつけて、懐かしいなあと思っていたところです。

2008年9月7日日曜日

ホール&オーツ 洋楽に覚醒

中学生の頃に、FM大阪のポップスベストテンという番組を通じて、ホール&オーツの「Private eyes」を初めて聴いた瞬間、一気にとりこになってしまった。これをきっかけに洋楽に覚醒。
当時、流行っていたのは、ポリスにジャーニー、ホール&オーツ、ジョンレノン、そしてポリスといったところ。
でも、僕は断然ホール&オーツ。とにかく、ダリルホールがカッコいい。
ホール&オーツのデビューからのレコードは全て聴いたのは言うまでのありませんね。

コンサートも延べ5回いきました。場所は、大阪府立体育館です。当時は、大阪城ホールがなく、来日アーティストの大阪公演は大体、大阪府立体育館が多かったですね。

ホール&オーツの歌で私の好きな歌。
Private eyes
初めて聴いた曲なので、思い入れが強い。もちろんよい曲。プロモーションビデオもGood。
Wait for me
ホール&オーツのファンなら納得していただけるでしょう。素敵なバラードです。コンサートで見せ場たっぷりの曲です。コンサートで聴いていただきたい曲。
I can’t go for that
オリビアのフィジカルの全米No.1を10週でとめた、伝説の名曲。
この曲は、最近カヴァーもされていましたね。FMで流れたとき「おやっ、盗作か?」と思ったものです(笑)。プロモーションビデオがとにかくカッコいい。
Every time you go a way
この歌は、1985年にポールヤングにカヴァーされて、全米No.1になっている名曲。でも、何度聴いても、ホール&オーツの曲の方がよい!!と思うのは、僕だけじゃない筈。ダリルの声にしびれます。
まだまだ、紹介したい曲はありますが、今回はここまでにしておきます。