洋楽を聴き始めた頃、「クリストファー・クロス」の「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arthur's Theme (Best That You Can Do))」がヒットしていました。
クリストファー・クロスは1979年、アルバム「南から来た男」でデビューし、このアルバムと同アルバムからシングルカットされた「セイリング」で1980年のグラミー賞5部門を独占し、大ブレイクしました。まさに衝撃のデビューだったと思います。
AORの入門として、このアルバムは特におススメです。
2008年11月26日水曜日
2008年11月25日火曜日
サンタナの名曲「哀愁のヨーロッパ」は、やはりヨーロッパが似合います
先週、出張でフランスの方へ行ってきました。
フランスへは出張で度々訪れておりますが、今回はかなり久しぶりの出張となりました。
現地での仕事が終わり、当然のように観光へと行ってまいりました。
エッフェル塔や凱旋門と訪問し、やはり久しぶりに異文化を楽しむのも良いなあと思ったものでした。
フランスへは当然、飛行機での移動となります。
いつも機内で楽しみにしているのが、映画と音楽ですね。
音楽は、チャンネルがあるのですが、いつも聴いているのは昔の洋楽を流すチャンネルです。
今回、搭乗したときに、「サンタナ」の「哀愁のヨーロッパ」が流れており、久しぶりに聴く名曲に疲れを癒していただきました。
この曲は、本当にヨーロッパという感じがして、感慨深いものがありました。
フランスへは出張で度々訪れておりますが、今回はかなり久しぶりの出張となりました。
現地での仕事が終わり、当然のように観光へと行ってまいりました。
エッフェル塔や凱旋門と訪問し、やはり久しぶりに異文化を楽しむのも良いなあと思ったものでした。
フランスへは当然、飛行機での移動となります。
いつも機内で楽しみにしているのが、映画と音楽ですね。
音楽は、チャンネルがあるのですが、いつも聴いているのは昔の洋楽を流すチャンネルです。
今回、搭乗したときに、「サンタナ」の「哀愁のヨーロッパ」が流れており、久しぶりに聴く名曲に疲れを癒していただきました。
この曲は、本当にヨーロッパという感じがして、感慨深いものがありました。
2008年11月20日木曜日
狂気のピンクフロイド
ピンク・フロイドの曲を初めて聴いたのは、「吹けよ風、呼べよ嵐」でした。この曲は、全日本プロレスでのザ・ブッチャーのテーマ曲として有名で、私の兄が好きだったので、レコードを購入して聴いていました。
彼らのアルバムは何と言っても「狂気」が有名ですね。1972年に発表されたこのアルバムは、実に15年に渡って、ビルボードチャート200位以内にチャートインし、ギネス記録を打ち立てた歴史的なモンスターアルバムです。ただ、私にはこのアルバムの良さが分かりませんでした。
私が個人的に、アルバムで印象に残っているのが、「ザ・ウォール」で、シングルカットされた「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」をよく聴いていました。
branco(ブランコ)で音楽無料動画で楽しもう
彼らのアルバムは何と言っても「狂気」が有名ですね。1972年に発表されたこのアルバムは、実に15年に渡って、ビルボードチャート200位以内にチャートインし、ギネス記録を打ち立てた歴史的なモンスターアルバムです。ただ、私にはこのアルバムの良さが分かりませんでした。
私が個人的に、アルバムで印象に残っているのが、「ザ・ウォール」で、シングルカットされた「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」をよく聴いていました。
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2008年11月18日火曜日
ブロンディ/コール・ミー
今日はブロンディの「コール・ミー」を紹介します。
この曲は1980年に大ヒットし、全米の年間チャート1位となりました。
ブロンディのコール・ミーのPV試聴/視聴はこちら
ブロンディは、1979年に大ヒットした、ハート・オブ・グラスがお気に入りで、よく聴いていました。
残念ながら、ブロンディはメンバの一人が白血病ということで、1982年に解散してしまいました。
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この曲は1980年に大ヒットし、全米の年間チャート1位となりました。
ブロンディのコール・ミーのPV試聴/視聴はこちら
ブロンディは、1979年に大ヒットした、ハート・オブ・グラスがお気に入りで、よく聴いていました。
残念ながら、ブロンディはメンバの一人が白血病ということで、1982年に解散してしまいました。
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2008年11月17日月曜日
ヒューマン・リーグ(The Human League)
今日、久しぶりに車の中で「ヒューマン・リーグ」の「愛の残り火(Don't You Want Me)」を聴きました。
「ヒューマン・リーグ」はもともとイギリスのグループで、この曲「愛の残り火(Don't You Want Me)」は、確か1981年に先ずイギリスで大ヒットし、その後全米
No.1になる、大ヒットを記録しました。
当時、MTVで盛んにPVが放送されていて、この曲のPVは非常に印象に残っています。
この曲の作曲者は、楽器が使えず、コンピューターで作曲をしたというのは非常に有名な話でした。
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「ヒューマン・リーグ」はもともとイギリスのグループで、この曲「愛の残り火(Don't You Want Me)」は、確か1981年に先ずイギリスで大ヒットし、その後全米
No.1になる、大ヒットを記録しました。
当時、MTVで盛んにPVが放送されていて、この曲のPVは非常に印象に残っています。
この曲の作曲者は、楽器が使えず、コンピューターで作曲をしたというのは非常に有名な話でした。
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2008年11月13日木曜日
ミスター・ロボット 日本語の入った曲 ~スティクス~
スティクス (Styx)は、1981年に「ザ・ベスト・オブ・タイムズ」などのヒット曲を出しました。
そのスティクスが日本での人気を決定付けたのは、その後にリリースした「ミスター・ロボット」という曲だと思います。何故なら、この曲の歌詞には日本語が含まれているからです。「ども、ありがと。ミスター・ロボット。」と日本語で歌われていました。
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そのスティクスが日本での人気を決定付けたのは、その後にリリースした「ミスター・ロボット」という曲だと思います。何故なら、この曲の歌詞には日本語が含まれているからです。「ども、ありがと。ミスター・ロボット。」と日本語で歌われていました。
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2008年11月12日水曜日
デスペラード(ならず者) イーグルス
久しぶりに、大阪の友達から電話がかかってきました。
一体なんだろうと思いきや、「イーグルスのデスペラードって言う曲知ってる?」という話だった。一瞬、バカにしているのかなと思ったのですが、彼はビートルズも知らないくらいの洋楽おんちだったので、どうも本気で聴いてきたみたいです。
彼曰く、「デスペラード」を聴きたくて、CDレンタル屋に言ったのだけれど、よく探せなかったとのことで、「CD持っていたら貸してくれないか?」という事でした。二つ返事でOKと言いましたが、僕も聴きたくなったので、今日は車の中で、この曲を聴きながら会社へ出勤しました。
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一体なんだろうと思いきや、「イーグルスのデスペラードって言う曲知ってる?」という話だった。一瞬、バカにしているのかなと思ったのですが、彼はビートルズも知らないくらいの洋楽おんちだったので、どうも本気で聴いてきたみたいです。
彼曰く、「デスペラード」を聴きたくて、CDレンタル屋に言ったのだけれど、よく探せなかったとのことで、「CD持っていたら貸してくれないか?」という事でした。二つ返事でOKと言いましたが、僕も聴きたくなったので、今日は車の中で、この曲を聴きながら会社へ出勤しました。
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2008年11月11日火曜日
1970年代後半のディスコ・ブーム
1970年後半にディスコ・ブームが到来しました。仕掛け人はヴァンマッコイです。
アメリカの音楽プロデューサーであり、作曲家でもあったヴァン・マッコイは、「ハッスル」という曲で、
1975年に全世界でレコード売上が1000万枚以上という大ヒットを記録しました。
これが、世界中でディスコ・ブームを巻き起こすきっかけとなったといわれています。
そして、このブームにのって、シックというグループが出てきました。
シックは「おしゃれフリーク」という曲を出して、これも全米No.1と大ヒットを記録しました。
その後はディスコ・ブームは衰退していきます。
余談ですが、ヴァン・マッコイは、1979年に、39歳の若さで急死しています。
もし、生きていたら、どんな曲を作っていたのでしょうか。
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アメリカの音楽プロデューサーであり、作曲家でもあったヴァン・マッコイは、「ハッスル」という曲で、
1975年に全世界でレコード売上が1000万枚以上という大ヒットを記録しました。
これが、世界中でディスコ・ブームを巻き起こすきっかけとなったといわれています。
そして、このブームにのって、シックというグループが出てきました。
シックは「おしゃれフリーク」という曲を出して、これも全米No.1と大ヒットを記録しました。
その後はディスコ・ブームは衰退していきます。
余談ですが、ヴァン・マッコイは、1979年に、39歳の若さで急死しています。
もし、生きていたら、どんな曲を作っていたのでしょうか。
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2008年11月10日月曜日
クイーンのコンサートは自慢話
僕が洋楽を聴き始めた頃、日本で一番人気のあった洋楽グループはクイーンでした。
当時、Music Lifeという月間音楽雑誌があり、毎年1回、洋楽アーティストの人気投票があって順位付けをするのですが、グループ部門ではいつもクイーンが1位でした。
僕も、クイーンが好きで、よく聞いていました。特にボヘミアンラプソディは名曲だと思っています。又、フレディー・マーキュリーのボーカルがとても良かったと思います。
ある日、クイーンのコンサートに行こうという話しになりました。仲間うちで、一番人気があったのがクイーンだったので必然的の、そうなりました。
みんなで、朝早くから梅田に出掛け、長時間チケット屋に並び、やっとの思いで買ったのを覚えています。
このときにいったコンサート、今では、自慢話の一つになっています。
当時、Music Lifeという月間音楽雑誌があり、毎年1回、洋楽アーティストの人気投票があって順位付けをするのですが、グループ部門ではいつもクイーンが1位でした。
僕も、クイーンが好きで、よく聞いていました。特にボヘミアンラプソディは名曲だと思っています。又、フレディー・マーキュリーのボーカルがとても良かったと思います。
ある日、クイーンのコンサートに行こうという話しになりました。仲間うちで、一番人気があったのがクイーンだったので必然的の、そうなりました。
みんなで、朝早くから梅田に出掛け、長時間チケット屋に並び、やっとの思いで買ったのを覚えています。
このときにいったコンサート、今では、自慢話の一つになっています。
2008年11月6日木曜日
小室哲哉逮捕 「小室バブルの終焉」
小室哲哉さんが5億円詐取、いわゆる詐欺罪で逮捕されてしまいました。
90年代後半に日本の音楽業界を席巻した彼は「バブルのようだった」とコメントしていたようですが、実にその通りだと思います。更に、バブル後に、借金まみれというのも同様です。どうしてそうなってしまったのでしょうか?最近のアメリカのサブプライム問題に端を発した、金融危機にも似ているように思います。
小室哲哉さんは、明らかに一つの時代を築きました。小室哲哉さんは、歌いやすい曲つくりを心がけていたようですので、これがカラオケブームと上手くマッチして、彼の曲がよく売れたんだと思っています。
潔く罪を認めたのは、良かったと思います。又、復活して欲しいとも思います。
小室哲哉さんのドキュメンタリー映画を作れば大ヒット間違い無しでしょう。
不謹慎ですいませんでした。
90年代後半に日本の音楽業界を席巻した彼は「バブルのようだった」とコメントしていたようですが、実にその通りだと思います。更に、バブル後に、借金まみれというのも同様です。どうしてそうなってしまったのでしょうか?最近のアメリカのサブプライム問題に端を発した、金融危機にも似ているように思います。
小室哲哉さんは、明らかに一つの時代を築きました。小室哲哉さんは、歌いやすい曲つくりを心がけていたようですので、これがカラオケブームと上手くマッチして、彼の曲がよく売れたんだと思っています。
潔く罪を認めたのは、良かったと思います。又、復活して欲しいとも思います。
小室哲哉さんのドキュメンタリー映画を作れば大ヒット間違い無しでしょう。
不謹慎ですいませんでした。
2008年11月4日火曜日
音楽 アラベスク 歌詞が無茶苦茶
1979年頃にアラベスクという女性3人組のユニットが「ハロー・ミスター・モンキー」という曲を出し、日本でヒットしていました。
当時、僕は小学生でしたが、兄がよくアラベスクの曲を聴いていて、大好きになっていました。
特に好きだったのは、「ビリーズ・バーベキュー」でした。
ある日、この歌の意味がどういう内容が知りたかったので、歌詞カードを見たのですが、あまりのくだらなさに唖然としました。
どうも、アラベスクの曲は歌詞が無茶苦茶だったようで、本国ドイツで売れなかったのが分かるような気がしたのと、どうして日本でこんなに売れたのか、理解できませんでした。
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当時、僕は小学生でしたが、兄がよくアラベスクの曲を聴いていて、大好きになっていました。
特に好きだったのは、「ビリーズ・バーベキュー」でした。
ある日、この歌の意味がどういう内容が知りたかったので、歌詞カードを見たのですが、あまりのくだらなさに唖然としました。
どうも、アラベスクの曲は歌詞が無茶苦茶だったようで、本国ドイツで売れなかったのが分かるような気がしたのと、どうして日本でこんなに売れたのか、理解できませんでした。
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2008年11月2日日曜日
ビージーズ ~ 美しい3兄弟のハーモニー ~
今、HONDAの新型オデッセイのコマーシャルで、ビージーズの「ステイン・アライヴ」が使われています。
ビージーズは、1978年頃、良く聴いていました。正確には聴かされていたといったほうが正しいかも。兄が、ビージーズが好きで、映画「サタディナイトフィーバー」のサントラアルバムを良く聴いていました。そのアルバムからは、「ステイン・アライブ」「恋のナイトフィーバー」「愛はきらめきの中に」等のヒットが生まれました。
「ビージーズ」の魅力は何といっても、ハーモニー(コーラス)です。3兄弟(バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ)のハーモニーは非常に良かったと思います。
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ビージーズは、1978年頃、良く聴いていました。正確には聴かされていたといったほうが正しいかも。兄が、ビージーズが好きで、映画「サタディナイトフィーバー」のサントラアルバムを良く聴いていました。そのアルバムからは、「ステイン・アライブ」「恋のナイトフィーバー」「愛はきらめきの中に」等のヒットが生まれました。
「ビージーズ」の魅力は何といっても、ハーモニー(コーラス)です。3兄弟(バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ)のハーモニーは非常に良かったと思います。
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