- エルトン・ジョン Elton John -<20世紀を代表するヒット・メーカー>
60年代から活躍を始め、ビートルズ以降最大のヒット・メーカーと言われた男、エルトン・ジョン。それでも彼の名は1990年代に入る頃には、危うく忘れられかけていました。しかし、1997年「風の中の火のように Candle In The Wind」のメガ・ヒットにより、再びその名が世界中に知られることになり、それどころか、ギネス・ブックに載るほどの20世紀最大のヒット曲の作者として、歴史にその名をとどめることになりました。
もちろん「風の中の火のように」は、あのダイアナ皇太子妃の追悼歌として録音された曲ですが、もとはといえば彼の最高傑作と言われるアルバム「グッドバイ・イエロー・ブリックロード」の中で、マリリン・モンローを追悼する歌として挿入されていた曲でした。20世紀を代表する美女二人、そしてともに謎の死を遂げた二人に捧げられた曲というだけでも、この曲の歴史的価値はたいへんなものかもしれません。
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エルトン・ジョン Elton John 「グッドバイ・イエロー・ブリックロード」
HELLO YELLOW ELTON ROADへようこそ!
このエルトン・ファン・サイトに訪問戴きありがとうございます。エルトン・ジョン(以下EJ)は、永年に渡り輝き続けるポップスターであり、また卓越した音楽家でもあります。彼の素晴らしさについて、多くの人達とその話題を共有できたらどんなに素晴らしいことでしょう。EJについて、いくつかの資料と私の知っている限りのことをここにまとめてみました。このサイトが、皆さんとの情報交換の場になれればと願っております。
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最近のエルトン・ジョン
エルトン・ジョンは、1997年にパリで交通事故死したダイアナ元英皇太子妃の
親友としても有名で、8月末にパリで事故死したのために同元妃の葬儀で熱唱した
「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」は世界的な大ヒットとなりました。
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2009年3月29日日曜日
ガンズ&ローゼズ / Guns N' Roses
米国ロサンゼルスでアクセル・ローズ、スラッシュ、イジー・ストラドリン、ダフ・マッケイガン、スティーヴン・アドラーの5人で結成。87年に『アペタイト・フォー・ディストラクション』でデビュー。ハード・ロックにパンクのイディオムを取り入れた音楽で一躍トップ・バンドに。続きを読む。
''80年代末、Guns N'' Rosesはハードロックというものの様相を変えてしまった。それも恐るべきことに、本人たちには一切、その気なく。彼らの生々しい激しさ、ワルというイメージを究極まで描いてみせたストリート的な激しさを、当時、多くのロックバンドが良くも悪くも手に入れたいとやっきになったものだ。
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17年振りの奇跡だ。奇跡と言っては失礼だが、ファンにとってはその表現以外に言葉が見当たらない。ついにオフィシャルからの発表、『チャイニーズ・デモクラシー』の発売決定がアナウンスされた。
ガンズ・アンド・ローゼズが長い沈黙を破っていよいよ始動開始となる。以前から発売されると噂されてきた新アルバム『チャイニーズ・デモクラシー』の完成、発売の決定である。米発売が11月23日、日本発売は11月22日(土)の予定だ。続きを読む。
ロサンゼルスでそれぞれ別のバンドで活躍していたメンバーが集結し、'85年に現在のラインナップで活動を開始。傑出した音楽性の高さでデビュー以前より話題となっていたが、'87年に発表した『アペタイト・フォー・ディストラクション』の全米No.1ヒットで、その人気は決定的なものになった。続きを読む。
ハード・ロック最後の大物 ガンズ・アンド・ローゼズ。
抜群の演奏力と歌唱力、パンクの過激さ、華麗なルックス、素晴らしいソングライティング、最高のライヴ・パフォーマンスなどすべてを兼ね備えたバンドだった。 続きを読む。
スウィート・チャイルド・オブ・マイン/Sweet Child O' Mine[ガンズ&ローゼズ/Guns N' Roses](1988)
1987年にアルバム『Appetite For Destruction』にてメジャー・デビューした『ガンズ&ローゼズ/Guns N' Roses』、本アルバムは 全米ビルボード初登場182位で、実に50週間かかって1位を獲得。続きを読む。
''80年代末、Guns N'' Rosesはハードロックというものの様相を変えてしまった。それも恐るべきことに、本人たちには一切、その気なく。彼らの生々しい激しさ、ワルというイメージを究極まで描いてみせたストリート的な激しさを、当時、多くのロックバンドが良くも悪くも手に入れたいとやっきになったものだ。
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17年振りの奇跡だ。奇跡と言っては失礼だが、ファンにとってはその表現以外に言葉が見当たらない。ついにオフィシャルからの発表、『チャイニーズ・デモクラシー』の発売決定がアナウンスされた。
ガンズ・アンド・ローゼズが長い沈黙を破っていよいよ始動開始となる。以前から発売されると噂されてきた新アルバム『チャイニーズ・デモクラシー』の完成、発売の決定である。米発売が11月23日、日本発売は11月22日(土)の予定だ。続きを読む。
ロサンゼルスでそれぞれ別のバンドで活躍していたメンバーが集結し、'85年に現在のラインナップで活動を開始。傑出した音楽性の高さでデビュー以前より話題となっていたが、'87年に発表した『アペタイト・フォー・ディストラクション』の全米No.1ヒットで、その人気は決定的なものになった。続きを読む。
ハード・ロック最後の大物 ガンズ・アンド・ローゼズ。
抜群の演奏力と歌唱力、パンクの過激さ、華麗なルックス、素晴らしいソングライティング、最高のライヴ・パフォーマンスなどすべてを兼ね備えたバンドだった。 続きを読む。
スウィート・チャイルド・オブ・マイン/Sweet Child O' Mine[ガンズ&ローゼズ/Guns N' Roses](1988)
1987年にアルバム『Appetite For Destruction』にてメジャー・デビューした『ガンズ&ローゼズ/Guns N' Roses』、本アルバムは 全米ビルボード初登場182位で、実に50週間かかって1位を獲得。続きを読む。
2009年3月14日土曜日
スティーヴィー・ニックス 『フリートウッドマック』
スティーヴィー・ニックス(Stevie Nicks, 1948年5月26日 - )は、フリートウッド・マックのメンバーであり、ソロとしても20曲以上のTOP50ヒットを持つシンガー、ソングライター。彼女の妖精のようなスタイルと重々しく象徴的な歌詞は、喝采と批評の両方を彼女にもたらした。スティーヴィーは、彼女が書き、当時ボーイフレンドだったリンジー・バッキンガムと録音した「Frozen Love,」と言う曲をミック・フリートウッドが聴いたことから、1975年にリンジーと共にフリートウッド・マックに招かれて加入。1977年のフリートウッド・マックのアルバム『噂』の成功で、世界的な名声を得た。スティーヴィーは、1981年のアルバム『Bella Donna』でソロ活動を開始し、これまでに5枚以上のソロ作品を制作した。参考:Wikipedia
1948年5月、アリゾナ州フェニックス生まれ。学生時代に出会ったリンジー・バッキンガムとバンドを結成。その後、74年にスティーヴィーはリンジーと共にフリートウッド・マックに加入。新生フリートウッド・マックは2人の加入によってグループの絶頂期を迎え、75年作『フリートウッド・マック』はNo.1を記録。77年作『噂』は全世界で2500万枚のセールスを記録。この時期、スティーヴィーはバンドの代表曲となる"Rhiannon","Dreams"等のヒット曲を書いていた。続きを読む
フリードウッド・マックの看板ヴォーカルとして活躍し、グループ在籍中にソロ活動を開始。81年の初ソロ・アルバム『麗しのベラドンナ』がいきなり全米No.1を獲得する。MTV世代なら憶えているだろうが、プロモーション・ビデオの中での妖艶さや、酒やけしたようなダミ声、そして全身総レースの服を着て歌い舞う、あの姿! いったい何人の少年たちの股間を熱くしたことか。マック時代の「妖精」といわれていた頃とはうって変わった、大人の色気を全面に押し出したような雰囲気は、今みてもゾクッとくるものがある。続きを読む
1948年5月、アリゾナ州フェニックス生まれ。学生時代に出会ったリンジー・バッキンガムとバンドを結成。その後、74年にスティーヴィーはリンジーと共にフリートウッド・マックに加入。新生フリートウッド・マックは2人の加入によってグループの絶頂期を迎え、75年作『フリートウッド・マック』はNo.1を記録。77年作『噂』は全世界で2500万枚のセールスを記録。この時期、スティーヴィーはバンドの代表曲となる"Rhiannon","Dreams"等のヒット曲を書いていた。続きを読む
フリードウッド・マックの看板ヴォーカルとして活躍し、グループ在籍中にソロ活動を開始。81年の初ソロ・アルバム『麗しのベラドンナ』がいきなり全米No.1を獲得する。MTV世代なら憶えているだろうが、プロモーション・ビデオの中での妖艶さや、酒やけしたようなダミ声、そして全身総レースの服を着て歌い舞う、あの姿! いったい何人の少年たちの股間を熱くしたことか。マック時代の「妖精」といわれていた頃とはうって変わった、大人の色気を全面に押し出したような雰囲気は、今みてもゾクッとくるものがある。続きを読む
2009年3月1日日曜日
ホイットニー・ヒューストン
ホイットニー・ヒューストン ~20年前の奇跡~
先日、会社からの帰宅時にFMラジオを聴いていると、2008年のベスト・アルバムという特集がされていて、その中で『レオナ・ルイス』という女性アーティストが紹介されていた。
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Whitney Houston ホイットニー・ヒューストン
1963年 ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
有名なゴスペルシンガー、シシー・ヒューストンの娘として生まれ、幼い頃からからシシーの組織するニュージャージーのニュー・ホープ・パブティスト協会の聖歌隊に加わり、基礎からゴスペルを学ぶ。11才の時には聖歌隊のソリストとしてその実力を発揮する。15才で初めてのスタジオセッションを経験し、シシーのステージにもバックコーラスとして参加するようになる。17才の頃からは美しい容姿を生かしてモデルとして活躍、コスモポリタンやセブンティーンなどの表紙やグラビアを飾る。続きを読む
ホイットニー・ヒューストンという名前を初めて意識したのは、何かの雑誌で早見優が最近お気に入りの曲として「すべてをあなたに」を挙げているのを見たのが最初でした。(一緒にシャーデーの「プロミス」を夕方聞いて浸っているともいってましたっけ・・・。)ほどなく見始めたばかりのベストヒットUSAに「恋は手さぐり」で登場。美しい声に抜群の歌唱力。すぐさまアルバムを買いにまいりました。続きを読む
正念場を迎えたホイットニー・ヒューストン
アメリカを代表するシンガーであるホイットニー。80年代の後半から約10年、その活躍は素晴らしいものがあった。しかし今は? マリワナ所持事件と前後して、どうも雲行きが思わしくない。この特集では、そんな彼女のこれまでを追う。続きを読む
先日、会社からの帰宅時にFMラジオを聴いていると、2008年のベスト・アルバムという特集がされていて、その中で『レオナ・ルイス』という女性アーティストが紹介されていた。
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Whitney Houston ホイットニー・ヒューストン
1963年 ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
有名なゴスペルシンガー、シシー・ヒューストンの娘として生まれ、幼い頃からからシシーの組織するニュージャージーのニュー・ホープ・パブティスト協会の聖歌隊に加わり、基礎からゴスペルを学ぶ。11才の時には聖歌隊のソリストとしてその実力を発揮する。15才で初めてのスタジオセッションを経験し、シシーのステージにもバックコーラスとして参加するようになる。17才の頃からは美しい容姿を生かしてモデルとして活躍、コスモポリタンやセブンティーンなどの表紙やグラビアを飾る。続きを読む
ホイットニー・ヒューストンという名前を初めて意識したのは、何かの雑誌で早見優が最近お気に入りの曲として「すべてをあなたに」を挙げているのを見たのが最初でした。(一緒にシャーデーの「プロミス」を夕方聞いて浸っているともいってましたっけ・・・。)ほどなく見始めたばかりのベストヒットUSAに「恋は手さぐり」で登場。美しい声に抜群の歌唱力。すぐさまアルバムを買いにまいりました。続きを読む
正念場を迎えたホイットニー・ヒューストン
アメリカを代表するシンガーであるホイットニー。80年代の後半から約10年、その活躍は素晴らしいものがあった。しかし今は? マリワナ所持事件と前後して、どうも雲行きが思わしくない。この特集では、そんな彼女のこれまでを追う。続きを読む
2009年2月19日木曜日
スプリームス
車の中のラジオから流れてきた『スプリームス』の曲に、懐かしく思わず昔を思い出しました。彼女たちの全盛の頃はよく知りませんが、何だか知っているような不思議な感覚になります。それが、又、凄く良いところと思っています。
愛はどこへ行ったの/Where Did Our Love Go[スプリームス/The Supremes](1964)
モータウンの歌姫<SUPREMES>!ガールグループスの頂点に登りつめた彼女達ですが
はじめはスターを夢見る普通の学生。
毎日放課後に歩いてスタジオに通い、断られても
断られても諦めずに粘った結果、少しづつ仕事を貰える
ようになり、マービン・ゲイのバックで手拍子をしたり
レコーディングに参加したりいわゆるセッション
アーチストとして下積みをしていたのです。
続きを読む
スプリームス(シュープリームス)のシングル紹介第3弾にしてもうこの曲ですかと今回もつっこまれそうですが、2003年に公開されたされた映画「Only the Strong Survive/ソウル・サヴァイヴァー」の中でスプリームスのオリジナルメンバー、メアリー・ウィルソンが「ダイアナのスワンソングです」と歌う前に紹介するまでもなく、ご存知の通りダイアナ・ロスがソロシンガーとしてのキャリアをスタートさせるためにグループを脱退するタイムングで1969年10月にリリースされ、スプリームスにとって12曲目にして最後のNo.1 となった大ヒットナンバー。
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愛はどこへ行ったの/Where Did Our Love Go[スプリームス/The Supremes](1964)
モータウンの歌姫<SUPREMES>!ガールグループスの頂点に登りつめた彼女達ですが
はじめはスターを夢見る普通の学生。
毎日放課後に歩いてスタジオに通い、断られても
断られても諦めずに粘った結果、少しづつ仕事を貰える
ようになり、マービン・ゲイのバックで手拍子をしたり
レコーディングに参加したりいわゆるセッション
アーチストとして下積みをしていたのです。
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スプリームス(シュープリームス)のシングル紹介第3弾にしてもうこの曲ですかと今回もつっこまれそうですが、2003年に公開されたされた映画「Only the Strong Survive/ソウル・サヴァイヴァー」の中でスプリームスのオリジナルメンバー、メアリー・ウィルソンが「ダイアナのスワンソングです」と歌う前に紹介するまでもなく、ご存知の通りダイアナ・ロスがソロシンガーとしてのキャリアをスタートさせるためにグループを脱退するタイムングで1969年10月にリリースされ、スプリームスにとって12曲目にして最後のNo.1 となった大ヒットナンバー。
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2009年2月11日水曜日
コールドプレイ、グラミー3部門受賞
アメリカ音楽界最高の名誉とされるグラミー賞の第51回(2009年)授賞式が、日本時間の2月9日、ロサンゼルスで行なわれ、主要部門を含む7部門でノミネートされていたコールドプレイが3部門を受賞しました!
今回受賞となったのは主要4部門といわれるなかの一つ、“ソング・オブ・ザ・イヤー(Song of The Year)”(受賞楽曲「美しき生命 / Viva La Vida」)および、“ベスト・ポップ・パフォーマンス(Best Pop Performance By Duo or Group With Vocals)”(受賞楽曲「美しき生命 / Viva La Vida」)、“ベスト・ロック・アルバム(Best Rock Album)”(受賞アルバム『美しき生命』)。
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「コールドプレイ」の曲に着想-イラストレーター押金美和さんが企画展
書籍カバーやCDジェケットのデザインなどで活躍するイラストレーター、押金美和さんの企画展「Viva La Vida(ヴィヴァ ラ ヴィダ)~0からの軌跡」が2月7日より、渋谷「ロゴスギャラリー」(渋谷パルコ・パート1、TEL 03-3496-1287)で開催されている。
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グラミー賞 最優秀楽曲賞にコールドプレイ
アメリカ音楽界で最高の栄誉とされるグラミー賞の第51回授賞式が現地時間8日、アメリカ・ロサンゼルスで行われた。
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グラミー賞開催 コールドプレイやリル・ウェインが健闘
現地時間の8日、ロサンゼルスにて第51回グラミー賞授賞式が開催された。最多部門にノミネートされていたラッパーのリル・ウェインは、テレビ放送時間外にいくつか受賞したほかは、最優秀ラップ・アルバム賞を持ち帰ったのみ。この夜最大のウィナーは、元レッド・ツェッペリンのロバート・プラントとアリソン・クラウスの2人組だった。
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今回受賞となったのは主要4部門といわれるなかの一つ、“ソング・オブ・ザ・イヤー(Song of The Year)”(受賞楽曲「美しき生命 / Viva La Vida」)および、“ベスト・ポップ・パフォーマンス(Best Pop Performance By Duo or Group With Vocals)”(受賞楽曲「美しき生命 / Viva La Vida」)、“ベスト・ロック・アルバム(Best Rock Album)”(受賞アルバム『美しき生命』)。
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「コールドプレイ」の曲に着想-イラストレーター押金美和さんが企画展
書籍カバーやCDジェケットのデザインなどで活躍するイラストレーター、押金美和さんの企画展「Viva La Vida(ヴィヴァ ラ ヴィダ)~0からの軌跡」が2月7日より、渋谷「ロゴスギャラリー」(渋谷パルコ・パート1、TEL 03-3496-1287)で開催されている。
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グラミー賞 最優秀楽曲賞にコールドプレイ
アメリカ音楽界で最高の栄誉とされるグラミー賞の第51回授賞式が現地時間8日、アメリカ・ロサンゼルスで行われた。
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グラミー賞開催 コールドプレイやリル・ウェインが健闘
現地時間の8日、ロサンゼルスにて第51回グラミー賞授賞式が開催された。最多部門にノミネートされていたラッパーのリル・ウェインは、テレビ放送時間外にいくつか受賞したほかは、最優秀ラップ・アルバム賞を持ち帰ったのみ。この夜最大のウィナーは、元レッド・ツェッペリンのロバート・プラントとアリソン・クラウスの2人組だった。
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2009年2月1日日曜日
ヴァン・マッコイ 改めて早い逝去に惜しむ
『ヴァン・マッコイ』 久しぶりにテレビから流れてきた『ハッスル』という曲に、聴き込んでしまいました。懐かしいです。
1970年代というと、世界的にディスコ・ブームがありました。彼は、この火付け役と言ってもよいと思います。
Van McCoy(ばん・まっこい) [ヴァン・マッコイ] コアなソウル・ファンからの評価は低いが、昨今のクラブ・シーンにおける「ハッスル」のへヴィ・ローテーションっぷりなどから鑑みても、どうやら再評価熱が高まっているサウンド・クリエイター、ヴァン・マッコイ。彼はディスコ・ビートを土台に、<MOTOWN>などの系譜に位置するストリングス/ヴァイブ/ティンパニー/ベル/ホーンズを分厚く重ねた流麗なオーケストレイションを標榜。それは正しく“黒いフィル・スペクター”と形容できる、画期的なサウンドだった。続きを読む
ヴァン・マッコイ&スタイリスティックス 『 ハッスル 』 [Collection(洋楽)]
学園祭のシーズン・・
高校は男子校だから良い思い出などはない。
ただ、近辺には女子高が多いから、学際の時は
女子高生の姿もあることはあるのです。続きを読む
ハッスル/The Hustle[ヴァン・マッコイ/Van McCoy](1975)洋楽人生日記
1975年のディスコ・ブームの先駆者。この曲によって、アメリカをはじめ世界中でディスコ・ブームが始まったんですね。続きを読む
1970年代というと、世界的にディスコ・ブームがありました。彼は、この火付け役と言ってもよいと思います。
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ハッスル/The Hustle[ヴァン・マッコイ/Van McCoy](1975)洋楽人生日記
1975年のディスコ・ブームの先駆者。この曲によって、アメリカをはじめ世界中でディスコ・ブームが始まったんですね。続きを読む
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